メッシのエゴはエゴではない (1/2)

現在世界最高の選手であり、毎週のように記録を更新し、現代サッカー界のあらゆる数字を塗り替え続けているバルセロナリオネル・メッシが今、ある種の疑問を抱かれ始めた。

 前週末の会見でジョセップ・グアルディオラ監督は、ある記者から2−0で勝利したチャンピオンズリーグ(CL)のビクトリア・プルゼン戦でメッシが異常な数のゴールチャンスを逃したことを指摘され、「彼のプレーは時にエゴイスティックに過ぎるのではないか」との質問を受けた。これに対し、グアルディオラは問題の核心には触れず、「メッシはクリスティアーノ・ロナウドと同じく、ほかの選手とは別格なのだ」と言及するにとどまった。

「2人は別次元のレベルにあり、多くの場合、1人で試合を決めてしまう」という彼の言葉は、まさにこれまでスペインメディアが否定、もしくは極力言及を避けてきた事実を認めるものにほかならない。すなわち――サッカー史上最高のチームの1つである現在のバルセロナには、希代の天才と多くのスーパークラック(名手)がそろっている――という事実である。

 ハットトリックを達成した試合であろうと(これはもはや、それほど珍しいことではなく、彼の自宅には記念にもらった試合球のコレクションが並んでいる)、不運にも無得点に終わった試合であろうと(めったにないことだが、彼も人間なので時に起こり得る)、バルセロナにおけるメッシの役割は常にはっきりしている。相手のディフェンスラインに近いポジションをとる彼が、プレーにかかわるのは攻撃の最終局面だけであり、組み立ての段階から参加する必要は全くない。ディフェンス陣やセルヒオ・ブスケツ、シャビ・エルナンデスセスク・ファブレガスは、そのためにいるからだ。

 メッシはほかのチームメートより遅く、より高い位置で繊細なパスワークにかかわり始める。今のバルセロナは、そうやって機能しているのだ。ペナルティーエリア内で誰よりも決定的なプレーができ、毎年50ゴール近くをたたき出し、シーズンごとに過去の自分を上回ってしまう。そんなメッシが、ボールを求めて中盤まで下りてきては意味がない。

バルセロナとアルゼンチン代表とでは全く状況が異なる
 しかし、アルゼンチン代表でプレーする場合は別だ。システムが異なるだけでなく、バルセロナより守備的な戦術に適応するための練習を行う時間もない。しかも、代表でのメッシはボールを受けるために低い位置まで下がった後、十分なチームメートのフォローを受けられない状態で、自ら敵陣ペナルティーエリアまでボールを運ぶことを求められているのだ。

 ディフェンダーを減らし、アタッカーの数を増やす傾向が進んでいるバルセロナ。多くの試合で3−4−3のシステムを採用するようになった一方で、アレハンドロ・サベーラ監督率いるアルゼンチン代表では、5−3−2のシステムを採用している。その結果、後者でのメッシは、決してやりやすいとは言い難い2トップの一角としてのプレーを強いられている。

 バルセロナでプレーするメッシは、敵陣ペナルティーエリア手前でボールを受けた際、右にダニエウ・アウベスペドロ・ロドリゲス、左にダビド・ビジャ、数メートル後方にはシャビやアンドレス・イニエスタ、さらにはセスクらのサポートを得た状態で勝負を仕掛けることができる。ではアルゼンチン代表でのメッシはどうか。フォロー役がホセ・ソサ(彼はメッシとほぼ同じポジションにいる)、アンヘル・ディ・マリア(直近の試合ではハビエル・マスチェラーノとともにボランチでプレーした)くらいしかおらず、前方にはゴンサロ・イグアインしかいない。そんな状態でメッシは、ハーフライン付近でボールを受け、敵陣ペナルティーエリアまでボールを運ばなければならない。バルセロナとアルゼンチン代表とでは、全く状況が異なるのだ。

 それだけに、代表のシャツを着てプレーする際のメッシが、選択肢のなさにうんざりするのも理解できる。メッシが5〜6人の相手DFを抜き去るか、もしくはメッシやディ・マリアのパーフェクトなパスをイグアインがミスなくゴールに流し込めるか。アルゼンチンがゴールを奪えるかどうかは、そこにすべてが懸かっていると言っても過言ではない。

 一方、バルセロナのメッシには、ゴールを決めるための手段が無限にある。ゆえに彼が、自身にはあらゆる記録を破り、毎年のように数字を塗り替えていくチャンスがあると考えるのは当然だろう。そして、ゴールを決められない際には「意地でも決めてやろう」と執念を見せるのも、彼のプレーを身近で見ている人々には当然のことと映るはずだ。