敵地で得た勝ち点3、はっきりと見えた次なる課題 (1/2) U−22バーレーン 0−2 U−22日本

関塚隆監督が試合後、「最低限でもありますけど、非常に価値のある勝ち点3」と振り返った通り、U−22日本代表はロンドン五輪に向けたアジア最終予選の第2戦、初のアウエーでバーレーンに2−0で勝利を収め、勝ち点を6に伸ばした。

 同じく2−0で勝利したマレーシアとの第1戦(9月21日)から2カ月以上経過しているということで、数名のメンバーが入れ替わった関塚ジャパン。清武弘嗣原口元気の2人は、先に行われたワールドカップ・アジア3次予選の2試合(対タジキスタン北朝鮮)のメンバーに入ったことで、五輪代表との掛け持ちは不可能として招集外となった。また、このチームで主将を務める山村和也も9月末に左第5中足骨の亀裂骨折を負い、戦線離脱中。山崎亮平も直前に右足の違和感を訴え、バーレーン戦の前日練習でも別メニューの調整となった。主力4選手が不在の中で、関塚監督がどのような先発メンバーを起用するのか。戦前はこの点に注目が集まった。

 日本のスタメンは、GK権田修一、DF右から酒井宏樹鈴木大輔濱田水輝比嘉祐介、ダブルボランチ山本康裕扇原貴宏、2列目右から東慶悟山田直輝大津祐樹、1トップに大迫勇也という「1−4−2−3−1」の布陣。山村の抜けたボランチには山本、3選手が抜けた2列目には山田と今回のメンバーでただ1人の“欧州組”である大津が先発起用され、主将に任命された永井謙佑はベンチスタートとなった。

 大津の先発は大方の予想を裏切るサプライズであり、その大津が先制点を奪う活躍を見せたことで関塚采配(さいはい)は“的中”と評価できる。監督は試合後、その選手起用について「(大津は)うまくフィットしている印象を受けていました。永井も実際に練習試合で何度かあのポジションをやっています。ただ、今日のゲームプランのことを考えると、いろんな状況が考えられるので、コンディションが持つところまで大津を、ということにしました」と説明している。

 個人的には宇佐美貴史バイエルン)、宮市亮アーセナル)も含めて、“海外組”“欧州組”の冠が付くだけで“別格”扱いされるような風潮には疑問を呈する。だが、逆にこのチームのコアメンバーではなかった大津を、しかも所属クラブのメンヘングラッドバッハでここ3試合出場機会を得ていない状況で先発起用できたということは、関塚監督に大津をはじめ欧州組のコンディションを含めた情報がきちっと集約されている証拠だ。
 さらに言うと、このバーレーン戦での大津のパフォーマンスというのは、ドイツでの彼自身の成長のみならず、「欧州でいい状態にあるから代表に呼ばれる(=“欧州組”というだけで呼ばれるというわけではない)」という、当たり前のようで当たり前になっていなかった選考基準をクリアに示してくれた。
■克服した守備の不安定さ

 前置きが長くなったが、試合の内容について。この日のバーレーンは朝から曇り模様で気温も前日に比べて低く、肌寒いほどだった。風も強く、前半の日本は風下での戦いを強いられた。U−22バーレーン代表のシステムは、6番ハビブを中盤の底に、9番アミールを1トップに置いた「1−4−1−4−1」。シリアとの第1戦を1−3で落としているため、負けられないバーレーンは序盤から風上で伸びるロングボールを利用して日本に圧力をかけていった。

 ただし、関塚監督が「ディフェンスラインが非常に安定していた」、守備陣のリーダーである鈴木が「前半からあまり相手の攻撃に対して怖さは感じていなかった」と発言したように、日本は落ち着いてバーレーンの攻撃を跳ね返し、中途半端なクリアもなく、統一感と安定感ある守備を見せた。前半39分にアンカーのマルードに強烈な左足ミドルを打たれてヒヤッとする場面はあったが、単発な攻撃だったため、押し込まれて“相手のリズム”と認識するような時間はなかった。

 6月のクウェートとの2次予選前後には、個人の試合勘のなさに起因する守備の不安定さと試合の入り方が課題とされたが、この試合を見る限り、それは完全に克服されたと言えるだろう。その大きな要因は、濱田、扇原のようにU−22日本代表での試合出場を重ねることで、所属クラブでレギュラーをつかんだ「代表→クラブ」という逆流現象の選手が、試合勘と自信を持ってプレーするようになったことが挙げられる。
 今回のU−22代表メンバーに選ばれることで、Jリーグでプレーする選手は終盤の大事な2試合に出場できない。「Jより年代別代表を優先するのは非常識」「残留争い真っただ中の浦和は招集を拒否すべき」といった意見も出ていたが、わたしから言わせるとそういうご都合主義の意見自体がナンセンスである。

「プレーヤーズファースト」の観点で見れば、長距離移動を伴うアジアでの厳しい戦いというのは選手の成長を促すものであり、それはJリーグではもちろん、欧州のクラブレベルでもそう簡単に経験できるものではない。確かにU−22代表の招集には拘束力はないが、Jクラブが代表での活動における選手の成長に確かな手応えを感じ、代表の活動と強化にリスペクトを持って快く選手を送り出すことはいまや、欧州や世界が見習うべき“ジャパニーズ・スタンダード”ではないか。
 また、濱田や扇原のようなケースが出ていることは、その陰に「厳しい実戦経験を積んでこそ、選手は成長する」という信念のもとで働き掛けをし、Jクラブから代表活動への理解を得た原博実・技術委員長を中心とする代表スタッフの功労があることも忘れてはならない。